2013年1月11日金曜日

FREEのセカンドアルバム「FREE]

今日は、FREEのセカンドアルバム「FREE」の紹介です。
タイトルは2枚目にしてバンド名としているので、それだけ自信をもっていたのでしょう。
ファーストに比べ、飛躍的に音がよくなっています。その当時のショボイステレオでも違いがわかりました。プロデューサーがあのクリス・ブラックウエル。
まず、各楽器の分離が良くなったので、ドラム、ベース、ギターがハッキリ聞こえます。
ファーストは音がグシャっとしていて、ある意味ワイルドな感じが出ていて、いい感じではあったのですが、セカンドではスッキリしています。実はこのLPからFREE独特の間とかグルーブ感が出てきます。リズムセクションの手数が少なくなり、サイモン・カークのドラムは、リズムキープに命をかけるみたいな。コゾフのギターもリフを強調してチョーキングを意識しだして、1小節に一音みたいな感じになり始めた。そして極めつけは、アンディー・フレーザーのベース。一枚目とは別人の弾き方でリズムを強調し、独特のフレーズが生まれてきた。ブルースというよりR&Bぽい。ポンポン跳ねる感じはジェームス・ジェマーソンの影響かな。そして殆んどの曲がポール・ロジャースとアンディ・フレーザーのクレジットになっている。

FREE

ちなみに、後日談として、コゾフはこのセカンド製作中に、弾き方の指図をされ、嫌気が差して新しいグループを結成しようとしていたみたいらしい。


2012年11月16日金曜日

FREEのファーストアルバム 曲紹介(3)

6、アイム・ア・ムーバー
  フレーザー&ロジャース作。LIVEでもよくPLAYする曲。このスタジオ盤ではテンポが早くて、「FREE LIVE]のバージョンの方がゆったりしていて、僕はLIVE盤の方が好きです。これもGの3コードで彼らの得意とするフレーズのブルースナンバーです。4枚目の「HIGHWAY」のライド・オン・ポニーの原型ともいえる曲です。
7、ザ・ハンター
  ブッカーT&ザ・MGズがアルバート・キングに書いた曲で、ブルースの古典ナンバー。FREEはこの曲をアンコールでよくPLAYしています。レッド・ツェッペリンもファーストアルバムのハウ・メニー・モア・タイムスの中間部で少しだけ演奏していますが、かなりアレンジしていて、FREEの方が原曲に近い気がします。皆なこなれていて他の曲に比べて余裕がある感じです。ロジャースのボーカルは17,8歳とは思えない安定感があります。
8、ムーン・シャイン
 コゾフ&ロジャース作。LPが出た頃、この曲は飛ばして聴いていました。1曲目と同様にとてもマイナーなテンポの遅い曲で、好きになれなかった。この時代、悪魔的な風潮が流行っていて、ブラック・サバスはそのイメージが先行してしまい、それが功を奏して売れたけど、後にメンバーはそんなつもりで曲を書いていなかったと話しています。この頃のロジャースも影響を受けていたと思われる。メンバーは以外とこの曲を気に入っていたらしく、LIVEでもセットリストには必ず入っていたみたいだ。
9、スウィート・トゥース
 ロジャース作。このアルバムはロジャースとコゾフ主導が明らかで、フレーザーはあまり目立たない。この曲はFREEのファーストを象徴するような曲でウォリーやワイルド・インディアン・ウーマンみたいなブルースをベースにして、少しPOPも意識した曲作りをしていたみたいだ。とにかく前にも書いたけど、荒削りなブルースロックバンドという印象がある。
10、オーバー・ザ・グリーン・ヒルズ パート2
1曲目の続き。後に出たボーナス盤ではフルで演奏しているのがあるので、編集の段階で2つに分けてトータル的なアルバムに見せかけている感じですね。

ちなみに、アルバムジャケットにミッキーが写っているのだけれど、だいぶ後になって教えてもらった記憶があります。何十回となく見ていたのにわからなかった。不思議ですね。勿論、その頃東京デズニーランドはまだありません。

2012年10月19日金曜日

表参道スタジオのお話

今回は、ミーハーなお話を。僕が20歳前の頃、ナベプロの表参道のスタジオに出入りをしていて、そこではあいざき真也やキャンディーズのバックバンドがリハをしているのをよく見ていました。そのバンマスが今度新しいバンドをデビューさせるのでやってみないかと言われて5、6人のバンドを組んで、そのスタジオで練習していました。練習曲はグラス・ハープの「チェインジス」やドゥービー・ブラザースの曲。そこで突然、西城秀樹のバックバンドをやれと言われ、彼のコンサートツアーに参加しろと。西城秀樹は別の事務所の所属なのに、何で?疑問でしたが結局やる事になり、演奏するのはローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、レーン&ザ・スリー・キングスの「ストップ・ザ・ミュージック」等のヒット曲。浅草の国際劇場で3日から4日公演、大阪球場で2日間とか演奏していました。それが終わると今度はドリフターズの映画に出演。設定はドラムの加藤茶さんが勉強もせずにバンドに入れ込み、コンテストで優勝するお話。志村さんはマネージャー役。そのバンドのメンバーという設定。5.6年前に知り合いがその映画がビデオになっていると言って見せてくれた。有り得ない。そして極めつけはクイーン初来日の前座の話。皆この話を聞いた時は、唖然。まぁ、さすがに寄せ集めバンドにそんな大役は出来る訳なく、この後は芸能界にはよくある話でいつのまにか前座の話も、バンドのデビューの話もどっかにいってしまい、バンドも自然消滅してしまう。
グラス・ハープ
ちなみにそのスタジオでは、ドゥーティー・ドールも練習していました。

2012年8月14日火曜日

アイボリー・ゲートのお話

今日は、僕が少しの間、参加していたアイボリー・ゲートのお話を。
アイボリー・ゲートは、完全にレッド・ツェッペリンを意識したバンドで、ギターの人はジミー・ペイジのギター奏法から、ギターの持ち方、髪型に至るまで似ていて、オリジナル曲もZEPにインスパイアされているプレイヤーでした。僕が参加した時は、グループ名もなく、ドラムとギターの二人だけでヴォーカルがいませんでした。もともとは4人で活動していたらしく、丁度ヴォーカルとベースが抜けて又新たにメンバーを探していて、誰かの紹介で参加したと思います。ZEPを意識したバンドなので、ベースはキーボードも弾けなくてはカッコつかないと言う事で、小さい頃ピアノを習っていたのでフェンダー・ローズとソリーナを購入して頂き、無理やりプレイした思い出があります。もちろんジョン・ポール・ジョーンズにはなれる訳なく、練習してもトホホなテクでした。LIVEでベースとキーボードを担当しているプレイーヤーはZEPとFREEくらいで他は見た事がない。タワー・オブ・パワーのキーボードがフット・ベースを弾いているのはあったけど。やはりジョンとアンディはスーパープレイヤーなのだ。
その後ロバート・プラントばりのヴォーカルはなかなか見つからなくて、僕も辞めてしまったけれど、何年かしてバンドはアルバムも出して、活躍してたみたいだ。
ちなみにアイボリー・ゲートでは、その当時日本に2台しかないと聞いていた、オレンジのベースアンプを使用していました。大音量でもうるさい感じではなく、包み込むような音で、ギターがアドリブを弾いていてもスカスカな感じがしないグッドなアンプでした。この後いくつかのバンドに参加しますが、唯一、ロックバンドでプレイしていた感じでしたね。

2012年8月8日水曜日

ロジャー・グローバーのお話

ジョン・ロード関連で今日はディープ・パープルのベーシスト、ロジャー・グローバーのお話を。
彼は殆ど話題にならないベーシストですが、僕はベースプレイヤーだったので「イン・ロック」「マシン・ヘッド」の曲を高校生の頃はよくコピーしていました。やはりジョン・ポール・ジョーンズ、クリス・スクワイヤ等のプレイと比べると地味です。難しいフレーズを弾かないので、プレイ的には特にないのですが、プロデュースを得意としていて、後年リリースされた30周年記念アルバムとかにはロジャー・グローバー・リミックスというバージョンがかなり多く発表されています。なのでアルバムの音作り的なところは、他のメンンバーも信頼してまかしていたみたいですね。リッチーがレインボウを結成し、POP的な路線で成功したのも、途中からロジャーが加入してからなので、リッチーもそのセンスには一目置いていたのかな。
使用楽器は「イン・ロック」では、フェンダー・プレジションを使用していて音色は普通です。「ファイヤー・ボール」の一曲目では、ムスタング・ベースの軽いゴリゴリの音で、ソロも弾いています。これ以降は、リッケンバーガーでのプレイが多くなります。彼はピック弾きが多いのですが、リッケンバッカーにロトサンドの弦を張り、ピックで弾くと、クリス・スクワイアの音色になるはずですが、意外ともっさりとした音です。トレブルはあまり入れてない感じです。

ファイヤー・ボール
ちなみに、僕が最初に買ったベースはフェンダー・プレジションのメープル・ネックでジョン・ポール・ジョーンズの影響です。ジョンはレコーディングでもライブでもジャズ・ベースを弾いていたと思いますが、ある写真でプレジションを持っている姿がとてもカッコ良くて決めました。フリーのアンディ・フレーザーはSGベースですが、何故かギブンン系の音には抵抗があったのを覚えています。
リッケンバッカーのベースは、ハリケーンのライブで、友達から借りて一度だけ使った事があります。僕は指で弾くのですが、指弾きには向いていません。とても弾きにくかった。
ハリケーン LIVE

2012年7月17日火曜日

悲報、ジョン・ロード亡くなる!

 ディープ・パープルのジョン・ロードが亡くなったとのニュースが飛び込んできました。
僕のオフイスでいつも流しているFM局では、追悼的な感じでパープルの曲をON AIRしています。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は2回かかりました。
ディープ・パープルはフリーと同じ、60年代終わりから70年代に掛けて、活躍していたバンドです。キーボードのジョン・ロードは所謂第1期メンバーのリーダー的な人で、デビュー曲の「ハッシュ」からもわかるように、パープルのアルバム、1枚目から3枚目までは、オルガンを主体としたプログレ的なバンドでした。と言うよりクラシックの要素をバンドに持ち込み、念願のオーケストラと共演したアルバムまで頑張っていた人でした。しかし「ハッシュ」はそこそこヒットしたが、それ以降、「ケンタッキー・ウーマン」「リバー・ディープ・マウンテン・ハイ」等のシングルは、日本ではそれなりにヒットしていたが、世界的には程遠く、今まで黙ってギターを弾いていたリッチー・ブラックモアが主導権を握り、メンバーチェンジをした第2期のメンバーによるアルバム「イン・ロック」「ファイヤー・ボール」そして「マシン・ヘッド」が大ヒットしてハード・ロック・バンドの頂点に。なのでジョン・ロードというと僕の中では、大成功したゴリゴリのハードロック路線を演奏していても、どこかにクラシカルなフレーズは入れるよ!みたいな頑固なところがある人だと思っていました。でもそれがパープルが大成功した要因の1つかもしれない。
71歳でした。今の時代、「まだ早いよ」という感じです。
 ちなみに「マシン・ヘッド」の頃は高校性で「ハイウエイ・スター」をA・ROCKの大会で演奏したのを覚えています。A・ROCKとはアマチュア・ロックの大会で確かチャー氏も出ていた記憶があります。


デビューアルバム

2012年7月12日木曜日

FREEのファーストアルバム 曲紹介(2)

4、ワイルド・インディアン・ウーマン
ロジャース/フレーザー作。これも重いリフで始まる曲で、後のソングライターチームとなる2人の共作です。どちらが作曲、作詞のクレジットはなく、基本は曲がフレーザー、詞がロジャースかな。
この曲もフレーザーは、スーパーベーシストの感じはあまりなくプレイしています。ギターがやはり目立ちます。
5、ゴーイン・ダウン・スロー
ブルースの古典でハウリン・ウルフので有名ですが、もともとはピアノ奏者ジェイムズ・バーク・オーデンの曲です。この頃のバンドは必ずブルースのカバーをアルバムに入れますが、ロバート・ジョンソン、ウイリー・ディクソン,マディー・ウォータースの曲が多く、オーデンはこの曲で初めて知りました。さすが渋い選曲。アノログ盤ではA面最後の曲。彼らにしては珍しく結構長尺です。これも彼らの特徴ですが、インプロヴィゼーションを多用しません。だいたい3、4分の曲が多いです。ですがこの曲は結構頑張っています。まずコゾフはコードを弾きません。ズーットアドリブで弾いています。フレーザーもブルースブレーカーズで鍛えたテクニックで16,7歳とは思えない、クールな感じを出しています。この曲でのロジャースの歌い方は、ロッド・スチュワートにソックリ。ピアノのイントロですが、クレジットにピアノサンプリング、スティーブ・ミラーと表記してあります。あのスティーブ・ミラー・バンドの?この曲以外でも、チョコチョコ聞こえます。誰なんだろう。
ちなみに僕が19歳頃と24歳頃にいたアイボリー・ゲートというバンドでも、よくブルースの古典をカバーしていました。