2012年7月17日火曜日

悲報、ジョン・ロード亡くなる!

 ディープ・パープルのジョン・ロードが亡くなったとのニュースが飛び込んできました。
僕のオフイスでいつも流しているFM局では、追悼的な感じでパープルの曲をON AIRしています。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は2回かかりました。
ディープ・パープルはフリーと同じ、60年代終わりから70年代に掛けて、活躍していたバンドです。キーボードのジョン・ロードは所謂第1期メンバーのリーダー的な人で、デビュー曲の「ハッシュ」からもわかるように、パープルのアルバム、1枚目から3枚目までは、オルガンを主体としたプログレ的なバンドでした。と言うよりクラシックの要素をバンドに持ち込み、念願のオーケストラと共演したアルバムまで頑張っていた人でした。しかし「ハッシュ」はそこそこヒットしたが、それ以降、「ケンタッキー・ウーマン」「リバー・ディープ・マウンテン・ハイ」等のシングルは、日本ではそれなりにヒットしていたが、世界的には程遠く、今まで黙ってギターを弾いていたリッチー・ブラックモアが主導権を握り、メンバーチェンジをした第2期のメンバーによるアルバム「イン・ロック」「ファイヤー・ボール」そして「マシン・ヘッド」が大ヒットしてハード・ロック・バンドの頂点に。なのでジョン・ロードというと僕の中では、大成功したゴリゴリのハードロック路線を演奏していても、どこかにクラシカルなフレーズは入れるよ!みたいな頑固なところがある人だと思っていました。でもそれがパープルが大成功した要因の1つかもしれない。
71歳でした。今の時代、「まだ早いよ」という感じです。
 ちなみに「マシン・ヘッド」の頃は高校性で「ハイウエイ・スター」をA・ROCKの大会で演奏したのを覚えています。A・ROCKとはアマチュア・ロックの大会で確かチャー氏も出ていた記憶があります。


デビューアルバム

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