元FREEのアンディ・フレーザーが3月16日に亡くなりました。
私は、この訃報をつい最近知りました。
2013年には、42年ぶりに来日して元気な姿を見せてくれたのに。
彼のHPでは、HIV感染を確か発表していたので、それが原因かなとも思ったのですが
直接の死因は、肺ガンとの事。
来日時のあのマッチョな体を見ていたので、何か信じられません。
コゾフもフレーザーもいないのでFREEの再再結成はなくなりました。
ロジャースとカークでは、バット・カンパニーですから。
ジャック・ブルースも旅立ち、同じSGベースのアンディもいなくなりました。
ご冥福をお祈りします。
HIGHWAY
2015年4月20日月曜日
2015年1月19日月曜日
FREEのサードアルバム「ファイアー&ウォーター」
彼らの最大のヒット曲「オール・ライト・ナウ」が入ったアルバム。
このアルバムは、一般的には彼らの最高傑作と言われている作品です。
事実、「オール・ライト・ナウ」は英チャートで2位、米国でも4位を記録しました。
アルバムは英国で2位、米国でも17位と売れ,TOPグループの仲間入りをした、記念すべきアルバムです。ですが古くから聞いていたファンはこのアルバムはすこし違和感を感じてたかも。
「オール・ライト・ナウ」はデビューの頃からの定番のアンコール曲「ハンター」に続くノリのいい曲の必要性を感じ、アンディ・フレーザーがサビの部分を作り、それに合わせポール・ロジャースがメロを考えたとか。楽屋ですぐ出来たとか。真相はわからないですが殆どの曲が2人のクレジットなのでどっちでもいいか。
ちなみに、この時のポール・コゾフのジャケ写の髪型から、ライオン丸と言われ始める。確かにね。
このアルバムは、一般的には彼らの最高傑作と言われている作品です。
事実、「オール・ライト・ナウ」は英チャートで2位、米国でも4位を記録しました。
アルバムは英国で2位、米国でも17位と売れ,TOPグループの仲間入りをした、記念すべきアルバムです。ですが古くから聞いていたファンはこのアルバムはすこし違和感を感じてたかも。
「オール・ライト・ナウ」はデビューの頃からの定番のアンコール曲「ハンター」に続くノリのいい曲の必要性を感じ、アンディ・フレーザーがサビの部分を作り、それに合わせポール・ロジャースがメロを考えたとか。楽屋ですぐ出来たとか。真相はわからないですが殆どの曲が2人のクレジットなのでどっちでもいいか。
![]() |
Fire&Water |
2013年12月24日火曜日
アンディ・フレーザー日本公演
今日は、アンディ・フレーザーの42年ぶりの来日公演のお話。
10月24日、渋谷 O-EASTでアンディのLIVEがありました。今回はfeaturing TOBIと言うことでアンディがプロデユースしているTEENのギタリストとのジョイントです。
FREEが日本に来たの1971年、僕が高校生の時に神田講堂で見て以来の大事件です。ブログのはじめの方で初来日の写真をUPしていますが、あれから42年が経ちました。
FREEを解散してからのアンディはクリス・スペディングとシャークス、アンディ・フレーザー・バンド、そしてソロと活動はしていたのですが、どれもセールス的にはうまくいかず80年代のソロアルバムではベースはまったくプレイしないで、ヴォーカルアルバム「ファイン・ファイン・ライン」なんていう
打ち込みのアルバムを出してたりしました。その後ワールドミュージック的方向に行き、ブルースをベースにしたポール・ロジャースとは別な路線にシフトしていった感じがします。
今回の公演は、全ての曲でベースをプレイしていてFREEの曲はアンディがヴォーカルでした。
LIVEの模様を少しだけ。
会場には開演の20分前位に行きましたが、もう客席は7割程度うまっていました。実はアンディだけでは、集客が難しいと感じていて、心配でしたが結構若い人もいて始まるころにはほとんどいっぱいになりました。
暗くなりドラマーがでてきて、バスドラをキックしだします。みんな手拍子をして他のメンバーも出てきてギターがあのリフを弾きだします。オールライトナウです。
そしてアンディが最後に出てきて歌い出します。
アンディは60歳を過ぎていますが、筋肉質というよりマッチョになっていてビックリ。
アンディのヴォーカルは本職ではないという感じがあって、やっぱりFREEの曲はポールしかいないと改めて思いました。ポール・ロジャースの言葉を借りれば、「コゾフのいないFREEはFREEではない。なのでFREEの再結成はない」と。でもポール、アンディ、サイモンの3人一緒の演奏を見たいと感じたのは僕だけでしょうか?バット・カンパニーは何回も再結成しているのにね。FREEという名前でなくいいから3人で来日してほしい。
ちなみにFREE FOREVER(DVD)の発売記念の時にアンディとサイモンはポールに再結成と言うか記念LIVEをやろうと持ちかけて、やっぱり断られたみたい。
ポール・ロジャースさん、ZEPもボーナムはもう居ないけど、プラントは承諾したよ。
10月24日、渋谷 O-EASTでアンディのLIVEがありました。今回はfeaturing TOBIと言うことでアンディがプロデユースしているTEENのギタリストとのジョイントです。
FREEが日本に来たの1971年、僕が高校生の時に神田講堂で見て以来の大事件です。ブログのはじめの方で初来日の写真をUPしていますが、あれから42年が経ちました。
FREEを解散してからのアンディはクリス・スペディングとシャークス、アンディ・フレーザー・バンド、そしてソロと活動はしていたのですが、どれもセールス的にはうまくいかず80年代のソロアルバムではベースはまったくプレイしないで、ヴォーカルアルバム「ファイン・ファイン・ライン」なんていう
打ち込みのアルバムを出してたりしました。その後ワールドミュージック的方向に行き、ブルースをベースにしたポール・ロジャースとは別な路線にシフトしていった感じがします。
今回の公演は、全ての曲でベースをプレイしていてFREEの曲はアンディがヴォーカルでした。
LIVEの模様を少しだけ。
会場には開演の20分前位に行きましたが、もう客席は7割程度うまっていました。実はアンディだけでは、集客が難しいと感じていて、心配でしたが結構若い人もいて始まるころにはほとんどいっぱいになりました。
暗くなりドラマーがでてきて、バスドラをキックしだします。みんな手拍子をして他のメンバーも出てきてギターがあのリフを弾きだします。オールライトナウです。
そしてアンディが最後に出てきて歌い出します。
アンディは60歳を過ぎていますが、筋肉質というよりマッチョになっていてビックリ。
アンディのヴォーカルは本職ではないという感じがあって、やっぱりFREEの曲はポールしかいないと改めて思いました。ポール・ロジャースの言葉を借りれば、「コゾフのいないFREEはFREEではない。なのでFREEの再結成はない」と。でもポール、アンディ、サイモンの3人一緒の演奏を見たいと感じたのは僕だけでしょうか?バット・カンパニーは何回も再結成しているのにね。FREEという名前でなくいいから3人で来日してほしい。
Andy Fraser |
ポール・ロジャースさん、ZEPもボーナムはもう居ないけど、プラントは承諾したよ。
2013年7月19日金曜日
FREEのセカンドアルバム 曲紹介(2)
6、ウーマン
多分、アルバムの中で一番のコマーシャルな楽曲かも。リフがかっこよい。
フリーのフォロワーとして知る人ぞ知る、ブラックシープのデビューアルバム、フォリナーのルー・グラムがいたバンドもカバーしています。そしてまたまたスリードッグナイトも「ママ・トールド・ミー」が入っているアルバム「イット・エイント・イージー」でもカバーしています。
7、フリー・ミー
暗く憂いを含んだ曲。ワンフレーズでお経のように延々続いていきます。17,8歳の彼らがこのような曲作りをする背景が理解できず、初めて聞いたときは何か宗教的な匂いを感じたのを覚えている。
8、ブロード・デイライト
一転してハードな曲。1枚目に入っていてもおかしくはない感じである。がエンディングが何故か次作の「ファイヤー&ウォーター」を感じさせる曲でもある。
9、モーニング・サッド・モーニング
またアコギを使った彼らの得意とする気怠い雰囲気の曲である。これも後に知った事だけど、LIVEで一緒に回っていたのがフォークデュオみたいなバンドで曲作りに彼らの影響もあったみたいだ。
彼らの所属するアイランドは初期はフォークのミュージシャンが多かったが、後にトラフィック、ロバートパーマー、モット・ザ・フープル、バッドカンパニー等のロック系が多くなった。
ちなみに、後の文献「ヘビーロード」には早くも2枚目にして、バンド内のゴタゴタがあって、かなりギクシャクしていたらしい。
多分、アルバムの中で一番のコマーシャルな楽曲かも。リフがかっこよい。
フリーのフォロワーとして知る人ぞ知る、ブラックシープのデビューアルバム、フォリナーのルー・グラムがいたバンドもカバーしています。そしてまたまたスリードッグナイトも「ママ・トールド・ミー」が入っているアルバム「イット・エイント・イージー」でもカバーしています。
7、フリー・ミー
暗く憂いを含んだ曲。ワンフレーズでお経のように延々続いていきます。17,8歳の彼らがこのような曲作りをする背景が理解できず、初めて聞いたときは何か宗教的な匂いを感じたのを覚えている。
8、ブロード・デイライト
一転してハードな曲。1枚目に入っていてもおかしくはない感じである。がエンディングが何故か次作の「ファイヤー&ウォーター」を感じさせる曲でもある。
9、モーニング・サッド・モーニング
またアコギを使った彼らの得意とする気怠い雰囲気の曲である。これも後に知った事だけど、LIVEで一緒に回っていたのがフォークデュオみたいなバンドで曲作りに彼らの影響もあったみたいだ。
彼らの所属するアイランドは初期はフォークのミュージシャンが多かったが、後にトラフィック、ロバートパーマー、モット・ザ・フープル、バッドカンパニー等のロック系が多くなった。
ちなみに、後の文献「ヘビーロード」には早くも2枚目にして、バンド内のゴタゴタがあって、かなりギクシャクしていたらしい。
2013年6月28日金曜日
FREEのセカンドアルバム 曲紹介(1)
1、アイル・ビー・クリーピン
ドラムの音がやけにクリアに聞こえるPOPナンバーです。POPといっても彼らにとってであり、一般的にはまだ暗い感じがあります。ポール・ロジャースの歌い始めがとてもかっこ良い。スリードッグナイトが全米NO1ヒットに輝いた「喜びの世界/ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」が収録されたアルバム「ナチュラリー」でカバーしています。
2、ソング・オブ・イエスタディ
ドラムのフイル・インからベースの弾むようなリフで始まる、1枚目とはあきらかに違う印象を持った曲です。コゾフのギターもコードワークがファーストとは違うアプローチをしている。これがアンディが弾き方を指図したと思われる感じだ。
3、ライイング・イン・ザ・サンシャイン
アコースティックギターのフリーらしいというかイギリスのバンドらしい、トラッドな曲です。今聞くと枯れた感じの良さが分るけど、あの頃15,6歳の子供にはとても無理。後の文献でこのアルバムのアコギは全てコゾフが弾いていたと記してあったので、改めてコゾフは素晴らしい。
4、トラブル・オン・ダブル・タイム
一転してハードなブルースロック。LIVEのSETリストには必ず入っていた曲。これもリフが印象的です。
5、マウスフル・オブ・グラス
フリーの全アルバムを通して唯一のインストゥルメンタル。これもその当時はあまり聞かなかったけど、年を取ると好きになった一曲です。
ドラムの音がやけにクリアに聞こえるPOPナンバーです。POPといっても彼らにとってであり、一般的にはまだ暗い感じがあります。ポール・ロジャースの歌い始めがとてもかっこ良い。スリードッグナイトが全米NO1ヒットに輝いた「喜びの世界/ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」が収録されたアルバム「ナチュラリー」でカバーしています。
2、ソング・オブ・イエスタディ
ドラムのフイル・インからベースの弾むようなリフで始まる、1枚目とはあきらかに違う印象を持った曲です。コゾフのギターもコードワークがファーストとは違うアプローチをしている。これがアンディが弾き方を指図したと思われる感じだ。
3、ライイング・イン・ザ・サンシャイン
アコースティックギターのフリーらしいというかイギリスのバンドらしい、トラッドな曲です。今聞くと枯れた感じの良さが分るけど、あの頃15,6歳の子供にはとても無理。後の文献でこのアルバムのアコギは全てコゾフが弾いていたと記してあったので、改めてコゾフは素晴らしい。
4、トラブル・オン・ダブル・タイム
一転してハードなブルースロック。LIVEのSETリストには必ず入っていた曲。これもリフが印象的です。
5、マウスフル・オブ・グラス
フリーの全アルバムを通して唯一のインストゥルメンタル。これもその当時はあまり聞かなかったけど、年を取ると好きになった一曲です。
2013年1月11日金曜日
FREEのセカンドアルバム「FREE]
今日は、FREEのセカンドアルバム「FREE」の紹介です。
タイトルは2枚目にしてバンド名としているので、それだけ自信をもっていたのでしょう。
ファーストに比べ、飛躍的に音がよくなっています。その当時のショボイステレオでも違いがわかりました。プロデューサーがあのクリス・ブラックウエル。
まず、各楽器の分離が良くなったので、ドラム、ベース、ギターがハッキリ聞こえます。
ファーストは音がグシャっとしていて、ある意味ワイルドな感じが出ていて、いい感じではあったのですが、セカンドではスッキリしています。実はこのLPからFREE独特の間とかグルーブ感が出てきます。リズムセクションの手数が少なくなり、サイモン・カークのドラムは、リズムキープに命をかけるみたいな。コゾフのギターもリフを強調してチョーキングを意識しだして、1小節に一音みたいな感じになり始めた。そして極めつけは、アンディー・フレーザーのベース。一枚目とは別人の弾き方でリズムを強調し、独特のフレーズが生まれてきた。ブルースというよりR&Bぽい。ポンポン跳ねる感じはジェームス・ジェマーソンの影響かな。そして殆んどの曲がポール・ロジャースとアンディ・フレーザーのクレジットになっている。
ちなみに、後日談として、コゾフはこのセカンド製作中に、弾き方の指図をされ、嫌気が差して新しいグループを結成しようとしていたみたいらしい。
タイトルは2枚目にしてバンド名としているので、それだけ自信をもっていたのでしょう。
ファーストに比べ、飛躍的に音がよくなっています。その当時のショボイステレオでも違いがわかりました。プロデューサーがあのクリス・ブラックウエル。
まず、各楽器の分離が良くなったので、ドラム、ベース、ギターがハッキリ聞こえます。
ファーストは音がグシャっとしていて、ある意味ワイルドな感じが出ていて、いい感じではあったのですが、セカンドではスッキリしています。実はこのLPからFREE独特の間とかグルーブ感が出てきます。リズムセクションの手数が少なくなり、サイモン・カークのドラムは、リズムキープに命をかけるみたいな。コゾフのギターもリフを強調してチョーキングを意識しだして、1小節に一音みたいな感じになり始めた。そして極めつけは、アンディー・フレーザーのベース。一枚目とは別人の弾き方でリズムを強調し、独特のフレーズが生まれてきた。ブルースというよりR&Bぽい。ポンポン跳ねる感じはジェームス・ジェマーソンの影響かな。そして殆んどの曲がポール・ロジャースとアンディ・フレーザーのクレジットになっている。
![]() |
FREE |
ちなみに、後日談として、コゾフはこのセカンド製作中に、弾き方の指図をされ、嫌気が差して新しいグループを結成しようとしていたみたいらしい。
2012年11月16日金曜日
FREEのファーストアルバム 曲紹介(3)
6、アイム・ア・ムーバー
フレーザー&ロジャース作。LIVEでもよくPLAYする曲。このスタジオ盤ではテンポが早くて、「FREE LIVE]のバージョンの方がゆったりしていて、僕はLIVE盤の方が好きです。これもGの3コードで彼らの得意とするフレーズのブルースナンバーです。4枚目の「HIGHWAY」のライド・オン・ポニーの原型ともいえる曲です。
7、ザ・ハンター
ブッカーT&ザ・MGズがアルバート・キングに書いた曲で、ブルースの古典ナンバー。FREEはこの曲をアンコールでよくPLAYしています。レッド・ツェッペリンもファーストアルバムのハウ・メニー・モア・タイムスの中間部で少しだけ演奏していますが、かなりアレンジしていて、FREEの方が原曲に近い気がします。皆なこなれていて他の曲に比べて余裕がある感じです。ロジャースのボーカルは17,8歳とは思えない安定感があります。
8、ムーン・シャイン
コゾフ&ロジャース作。LPが出た頃、この曲は飛ばして聴いていました。1曲目と同様にとてもマイナーなテンポの遅い曲で、好きになれなかった。この時代、悪魔的な風潮が流行っていて、ブラック・サバスはそのイメージが先行してしまい、それが功を奏して売れたけど、後にメンバーはそんなつもりで曲を書いていなかったと話しています。この頃のロジャースも影響を受けていたと思われる。メンバーは以外とこの曲を気に入っていたらしく、LIVEでもセットリストには必ず入っていたみたいだ。
9、スウィート・トゥース
ロジャース作。このアルバムはロジャースとコゾフ主導が明らかで、フレーザーはあまり目立たない。この曲はFREEのファーストを象徴するような曲でウォリーやワイルド・インディアン・ウーマンみたいなブルースをベースにして、少しPOPも意識した曲作りをしていたみたいだ。とにかく前にも書いたけど、荒削りなブルースロックバンドという印象がある。
10、オーバー・ザ・グリーン・ヒルズ パート2
1曲目の続き。後に出たボーナス盤ではフルで演奏しているのがあるので、編集の段階で2つに分けてトータル的なアルバムに見せかけている感じですね。
ちなみに、アルバムジャケットにミッキーが写っているのだけれど、だいぶ後になって教えてもらった記憶があります。何十回となく見ていたのにわからなかった。不思議ですね。勿論、その頃東京デズニーランドはまだありません。
フレーザー&ロジャース作。LIVEでもよくPLAYする曲。このスタジオ盤ではテンポが早くて、「FREE LIVE]のバージョンの方がゆったりしていて、僕はLIVE盤の方が好きです。これもGの3コードで彼らの得意とするフレーズのブルースナンバーです。4枚目の「HIGHWAY」のライド・オン・ポニーの原型ともいえる曲です。
7、ザ・ハンター
ブッカーT&ザ・MGズがアルバート・キングに書いた曲で、ブルースの古典ナンバー。FREEはこの曲をアンコールでよくPLAYしています。レッド・ツェッペリンもファーストアルバムのハウ・メニー・モア・タイムスの中間部で少しだけ演奏していますが、かなりアレンジしていて、FREEの方が原曲に近い気がします。皆なこなれていて他の曲に比べて余裕がある感じです。ロジャースのボーカルは17,8歳とは思えない安定感があります。
8、ムーン・シャイン
コゾフ&ロジャース作。LPが出た頃、この曲は飛ばして聴いていました。1曲目と同様にとてもマイナーなテンポの遅い曲で、好きになれなかった。この時代、悪魔的な風潮が流行っていて、ブラック・サバスはそのイメージが先行してしまい、それが功を奏して売れたけど、後にメンバーはそんなつもりで曲を書いていなかったと話しています。この頃のロジャースも影響を受けていたと思われる。メンバーは以外とこの曲を気に入っていたらしく、LIVEでもセットリストには必ず入っていたみたいだ。
9、スウィート・トゥース
ロジャース作。このアルバムはロジャースとコゾフ主導が明らかで、フレーザーはあまり目立たない。この曲はFREEのファーストを象徴するような曲でウォリーやワイルド・インディアン・ウーマンみたいなブルースをベースにして、少しPOPも意識した曲作りをしていたみたいだ。とにかく前にも書いたけど、荒削りなブルースロックバンドという印象がある。
10、オーバー・ザ・グリーン・ヒルズ パート2
1曲目の続き。後に出たボーナス盤ではフルで演奏しているのがあるので、編集の段階で2つに分けてトータル的なアルバムに見せかけている感じですね。
ちなみに、アルバムジャケットにミッキーが写っているのだけれど、だいぶ後になって教えてもらった記憶があります。何十回となく見ていたのにわからなかった。不思議ですね。勿論、その頃東京デズニーランドはまだありません。
登録:
投稿 (Atom)